根性と科学
2回目の投稿なので、少し私のことを知ってもらいながら、今日のテーマ『根性と科学』について書いていきます。
大学でもEVOLUでも、一貫して理論的な指導を信条としています。ここは、ブレずにいます。日本全国には、多くの指導者(コーチ)の方々がいらっしゃいますが、それぞれに指導スタイルの特徴があると思います。つまり、選手の視点に立った場合、誰の指導を仰ぐのか?という選択になります。「弘山コーチに指導してもらいたい」と思ってもらえるかが、コーチを生業の一つにしている私にとっては勝負になるわけです。
そういう意味で言うと、私の指導スタイルが見えないといけないことになります。まあ、「弘山が指導しているチームが強くなっている・成績が良くなっている」という漠然と『良化した姿』でも良いのですが、それでは、合う合わない(相性)が出てきます。EVOLUでブログを投稿してきたのは、私のことを知ってもらうためですし、『最高の走り方』という本を出版したのも、そうした気持ちからです。

世の中は、様々な理論やロジックに溢れ、利用者は、情報に踊らされることになります。例えば、栄養サプリメントの情報戦略によって多くの人が誘導されていきます。イメージを植え付けさせられるわけです。メリット(利益)とベネフィット(便益・恩恵)を広告に配置して、それはそれは素晴らしい誘導です。私も栄養サプリメントをいくつか定期購買していますから、まさしく誘導されている人そのものです(笑)。
このメリットとベネフィットは、似ていて非なるものです(詳しくは、今度、機会があれば書きたいと思います)。「筑波大学に入学する」「EVOLUランニングクラブに入会する」として、私の指導を受ける場合に、どんなメリットがあり、どんなベネフィットが訪れるのか?が重要なことです。そのことを明確に示すためにも、私の指導者としての信条を少し書いてみます(全てを書くことはできません)。
今回、一つ例を出すのが「根性と科学の融合」です。
よく正反対の意で扱われることがあるワードだと思います。競技スポーツにおいて、「根性論」VS「スポーツ科学」という図式です。「科学を導入して無駄な練習を省いて効率的な練習をしましょう」みたいな話がよく出てきます。「たくさん走れば良いってわけじゃないよね」と議論されることも多い気がします。
果たして、そうでしょうか!?
スポーツ、とくに、長距離走の場合、たくさん走ったほうが良いのは当たり前です。恒常性(Homeostasis)にどれだけ訴えられるかが勝負になる競技ですから。
トレーニングの原理・原則にもある通り、可逆性、過負荷、漸進性、反復性などが求められ、カラダへの負荷の与え方次第で、恒常性が働き、身体組織がレベルアップされるわけです(運動負荷にカラダが適応していく)。
つまり、スポーツ科学とは「ヒトが持つ恒常性に効率よく働きかける方法を探る」ことだと思います。反復したり、長く走らなければいけないトレーニングもありますから、時には、根性だって必要です。
例えば、心拍数175で走り続ける練習(インターバル等)を組んだとします。175で長く走ることは、なかなか大変なことですが、ここで考えることがたくさん出てきます。(175は、あくまで例です)
なぜ心拍数を基準に考えるの?
なぜ175なの?170では駄目なの?
175で走り続ける距離は?
では、170ならどこまで距離を伸ばせるのか?
175と170のどちらが良いの?
175はOBLAの負荷以上?
乳酸はどのくらい出ている?
何人かで一緒にトレーニングしたら負荷にばらつきがあるよね?=同じ負荷にしたいのでは?
恒常性に訴えるなら、いくつの心拍数で本数は何本にすれば良いの?
などなど、挙げればきりがないと思います。これが心拍数を基準に考えた場合ですから、走速度を基準に考えるとどうなるのか?主観的強度(RPE)で考えると?というように、評価する視点(角度)を変えるだけで、トレーニングは様々な顔を持つことになります。
(心拍数という視点で続けて説明すると)3分00秒で1000m×5本のインターバルをしたとします。選手Aの心拍数は175で推移し、180に達しましたが5本をこなしました。選手Bは、170から始まり、175で高止まりし、4本目で離れました。
そこで、指導者は言います。「お前は175までしか心拍数が上がっていないのに集団から離れて、根性ないな!」と。
さあ、考えるところです。本当に根性がないのかもしれません。もしそうだとすれば、どう導くかを考える必要がありますし、モチベーションの確認をしなければならないかもしれません。
しかし、選手Aの最大心拍数は210で、選手Bは195かもしれません。キャパシティ(能力)発揮の割合で言うと、最大心拍数に対して、選手Aは85.7%、選手Bは89.7%の力を使っていることになります。RPEも高く、4本目で離れるのは仕方ないと言えます。
さらに付随する評価指標として、最大酸素摂取量やランニングエコノミーもあります。指導者や選手自身が判断する材料は多いほど原因を追究できる可能性があります。
そもそも『根性』には、二つの意味がありますね。「本来持っている性質」と「強い精神力」です。スポーツの世界で使われる時の「根性無い」は、その両方を同時に表現する場合が多い気がします。「もともと根性がないから、やっぱり今日も根性が足りなかった」という感じのニュアンス。
根性は、いろいろ分けて考えてあげないと選手は苦しいばかりです。評価する指標が多いほど判断に迷うかもしれませんが、科学を用いることで根性を正しく評価できる可能性は高まります。
何が言いたいかお分かりいただけると思いますが、
・科学的な評価をして初めて根性論に言及できる(根性を評価できる)
・選手個人の科学的な指標を知ってトレーニング処方ができれば、根性を続けさせる(我慢を利かせる)ことができる
このことを多くの指導者の方々は、経験則で判断していると思います。それはそれでコーチングの科学になるのかもしれませんが。
筑波大学に征矢英昭教授がいます。有名な先生ですが、私もたいへんお世話になっていますし、箱根駅伝復活プロジェクトでも科学的サポートの専門チームの長をお願いしている先生です。現在は、長距離チームの学生が被検者となり、毛髪を採取して「ストレスと運動パフォーマンスの研究」もしている研究室です。
以前の征矢先生との会話の中で、興味深い話をしたことを思い出します。トレーニングやコンディショニングの議論をした時に「これを研究したいね」となったことがあります。
それは「根性の科学」です。
まだ内容は話せませんが、面白いと思いませんか!!⇒ 科学とは相まみえると言える“根性”を科学するのですから(笑)。
最後に、少しまとめると、「根性がなければ、運動パフォーマンスは向上しない(科学的な数値が高くならない)」が、「科学を使えば、根性を活かす(伸ばす)ことができる」のです。
「根性が続くトレーニングが、効率の良いトレーニング」と言える部分があると私は思っています。
長距離走の場合、「体力=根性」は、ある意味では同義です。だから、科学が必要なのです。しかし、「根性が続かない」=「体力がもたない」=「ペース(走速度)が落ちた」トレーニングが無駄とは言い切れないのが、難しいところでもあります(笑)。
では、今日のところは、この辺で。また色々と書いていきます!